突然ですが、最近、80年代のChristian Diorにハマっています。
きっかけは、代官山のヴィンテージショップで出会った一対のイヤリングから…。
パリで買い付けられたという、ゴールドのノットモチーフのクリップイヤリング。手に取った瞬間、ズシっとした重さと鏡面仕上げの完璧な造形に、何かが揺さぶられた。
30代にもなったので、友人と会ってもジュエリーの会話をしたりYouTubeでジュエリーのチャンネルをみたりと最近とくに興味を持っていた。上はCartierやヴァンクリーフからetebijouやAHKAHも気になって見ていたところでの、このイヤリングとの出会いで運命かも…という感覚になった。
デパートの1階できらびやかに輝くジュエリーショップの面々に憧れ、路面店で警備の人の目を気にして「ちょっと見るだけ」なんていえず、遠くからロゴを眺めてきた私。
今の時代を象徴する繊細なジュエリーたちを、一度は身につけてみたいと言う気持ちはあった。でも、不思議とこれにしよう!と思えるほど惹かれることはなく、一度も買ったことがない。
今ならその理由がわかる気がする。
現代のジュエリーブランドは、コンセプトやストーリーを考えて販売されている=ブランディングがしっかりしている。
「日常に寄り添う」や「自分へのご褒美」など。
すでに手に取る前から意味を持たされている。そして、それに見合った金額が提示され…このブランドをつけていたら私たちのストーリーを体現できます。と言われているかのような、なんかそんな感じがした。(人それぞれの感覚があると思うので、私が捻くれてるだけかも笑)
たた、ヴィンテージショップでみつけた、80年代のこのイヤリングはそんなこと一切言ってこなかった。何人の手を渡って来たのかはわからないけれど、私がバトンを受け取るまで1980年代から約40年イヤリングとしての美しさを保ちなが、存在し続けた。
ゆくゆく調べたらDiorに委託されたドイツのアトリエで職人が、造形の完成度を追いかけて作った逸品だった。
「これを着けた女性がどう見られるか」より「この曲線が美しさ」が先にある。だからすでに、自分が介在しなくても完結している。
私のこと、欲しければどうぞ。という佇まいのようなそんな感覚。
AHKAHを買うのは「AHKAHを着けた自分になりたい」という感覚だと思う。ブランドのイメージに自分を寄せていく。
でも私の場合は逆だった。このジュエリーが先にあって、自分がそこに追いつこうとしている。
主従が逆転している。
その結果、クローゼットも激減した。先日の断捨離も、これが似合う女になるぞ!という軸があったからなのか、選択が難しくなかった。
今の自分に合わないものが見えるようになっただけなのかもしれない。
それが約40年経つ今もなお、古びない。逆に月日の流れがプラスに働く。
40年前にパリで作られたイヤリングが、2026年の東京で私のクローゼットを変えた。
何だか不思議な体験だった。