80年代のChristian Diorにハマっている。
きっかけは、国内のヴィンテージショップで出会った一対のイヤリングだった。
パリで買い付けられたという、ゴールドのノットモチーフのクリップイヤリング。
手に取った瞬間、ズシっとした重さと鏡面仕上げの完璧な造形に、何かが揺さぶられた。
30代にもなったので、ジュエリーというものに興味を持ち、eteやAHKAHも気になって見ていた。
どちらも今の時代を象徴する繊細なジュエリーで、デザインも丁寧だ。でも、不思議と惹かれなかった。
今ならその理由がわかる気がする。
現代のジュエリーブランドは、コンセプトを持っている。
「日常に寄り添う」
「自分へのご褒美」
SNSで見たときに欲しいと思わせる設計がされていて、手に取る前から意味を持たされている。
どこかブランドのストーリーを着ている感じがして、私には少し重かった。、
80年代のDiorは、そんなこと一切言ってこない。
パリのアトリエで職人が、造形の完成度だけを追いかけて作ったもの。
「これを着けた女性がどう見られるか」より「このノットの曲線が美しいか」が先にある。だから完結している。
欲しければどうぞ、という佇まいで、ただそこにある。
AHKAHを買うのは「AHKAHを着けた自分になりたい」という感覚だと思う。
ブランドのイメージに自分を寄せていく。
でも私の場合は逆だった。
ジュエリーが先にあって、自分がそこに追いつこうとしている。
主従が逆転している。
その結果、クローゼットが激減した。
「これに合わないものは要らない」
という基準が自然と生まれて、中途半端なものが脱落していった。
自分で意識して断捨離したわけじゃない。ただ、合わないものが見えるようになっただけ。
洗練というのは足し算じゃなくて引き算だと、身をもって知った。
当時のコスチュームジュエリーは、本物の金やダイヤを使わないからこそ、金属の造形と仕上げに全力を注いでいた。
誤魔化せないから。重量感、彫りの深さ、面の角度。
それが40年後も古びない理由だと思う。経年がプラスに働く。
劣化じゃなくて、熟成。
40年前にパリで作られたイヤリングが、2026年の東京で私のクローゼットを変えている。語りかけてこないものに、一番深くハマっている。